経済を知る~イギリスEU離脱編1~

今回は、経済を知る、第二弾として少し前に世界的に大きなニュースとして取り上げられたイギリスのEU離脱問題について、二回に渡ってお話しさせて頂きます。
第一弾では、“EUについて”解説し、続いて“イギリス国について”を紹介します。
第二弾で、本編となるイギリスのEU離脱問題として、イギリスがEUから抜けることによって考えられる世界への影響、金相場への影響はいかなるものなのか、お話しさせて頂きます。

1.EUとは

3769a1663cbe993ee4c13dc6cc6abdda_s

EUとは、欧州連合(European Union)の略語になります。
英語表記での頭文字をとってEUと呼びますが、国によって使用している言語の関係からフランスではUE(Union europeene)であったりと呼び方は様々です。
EU発足の起源は今から60年以上前のことです。

2.ECSC発足

EUの発足の起源は、1952年のECSC(欧州石炭鉄銅共同体)設立まで遡ります。
当時ヨーロッパ諸国は第二次世界大戦によりヨーロッパ全体が戦場と化していました。
戦争で負った傷は深く、沢山の人が犠牲となり、経済的にも回復は困難な状況でした。

そこで、国々の平和と協調を保つにはどうしたらいいか、と考え、西ドイツ・フランス・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの6ヵ国が、石炭と鉄鋼を共同で開発することにより、ヨーロッパ諸国で戦争が起きないようにと締結したのがECSCです。

EC発足

ECSCを発足したことによって、ヨーロッパ諸国間では、国同士の経済統合の必要性を改めて感じ、1958年には、更に領域をひろげます。
経済分野とエネルギー分野での経済統合を目指し、EEC(欧州経済共同体)とEURATOM(欧州原子力共同体)が設立されました。

1967年には、ECSC、EEC、EURAYOMの主要機関は統一され、「EC(欧州共同体)」が設立されます。
そこには新たに、イギリス・デンマーク・アイルランド・イギリス・ギリシア・スペイン・ポルトガルも加わっていき、どんどん拡大されていきました。

そしてEUへ

9f05c31a33153636f5b8db7ccd1f1650_s
1989年にベルリンの壁が崩壊したことで、ECは東側諸国に対しても影響力を強めていき、互いの結びつきが重要であると考え、1992年、オランダのマーストリヒトにて、EUを設立するべく、マーストリヒト条約(2-4)が交わされ、EU(欧州連合国)が発足されました。

 

マーストリヒト条約とは

主な内容は、単一通貨「ユーロ」の発行や、共通の外交・安全保障政策を円滑に進めるためのルールを定めたものです。

EU加盟国(2016年8月現在)

イギリスが2016年6月にEU残留か否か、の国民投票をした結果、EU離脱派が勝利した為、イギリスを除くと現在のEU加盟国は、ベルギー・ブルガリア・チェコ・デンマーク・ドイツ・エストニア・アイルランド・ギリシャ・スペイン・フランス・クロアチア・イタリア・キプロス・ラトビア・リトアニア・ルクセンブルク・ハンガリー・マルタ・オランダ・オーストラリア・ポーランド・ポルトガル・ルーマニア・スロベニア・スロバキア・フィンランド・スウェーデン、
計27ヵ国となります。

イギリスのEU加盟への道のり

イギリスという国

イギリスは皆様ご存じの通り、イングランド・ウェールズ・北アイルランド・スコットランドの4つの連合国によって構成されています。
正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」となります。
なので、イギリスの首都はロンドンであると思われがちですが、正しくはイングランドの首都がロンドンとなります。

また、イギリスの国旗であるユニオン・ジャックは、3つの十字架の組み合わせとなっています。
イングランドの白地に赤の剣十字、スコットランドの青地に白の剣十字、アイルランドの白地に赤十字、これらを組み合わせるとユニオン・ジャックになります。

イギリスのEC加盟は反対されていた

イギリスは上記でも述べたように、1967年EC発足時に、やっと加入しています。
1952年に設立されたEEC(欧州経済共同体)の時に加入する事はなく、1960年には、対抗するようにEFTA(3-5参照)を結成して、独自路線を歩みます。

そこで輸入超過に悩まされ、経営不振に陥り、EECへの加盟を申し出ますが、背景にあるアメリカ経済の影響力が強まるとされ、一度は断られました。

EC加盟実現

1973年にオイルショックが起こります。ECは欧州間の経済統合の拡大に迫られ、また、アメリカの経済が低迷した事等から、ようやくイギリスはECへの加盟が実現しました。
しかしイギリスは、同盟国間で使われている単一通貨の「ユーロ」は採用せず、イギリス独自の通貨、「ポンド」を使い続けました。

過去にもあった国民投票

2016年6月には、EU残留か否かの国民投票が行われましたが、この投票を行う事は初めての出来事ではなかったのです。
1975年、第二次ウィルソン内閣はEC残留かを国民投票をし、国民の意見によって、EC残留が承認されたという過去もあるのです。

EFTAとは

EFTA(European Free Trade Association)の略で、欧州自由貿易連合の事を言います。
加盟国間の自由貿易と経済統合の促進を目的とした機関になります。
イギリス含む、7ヵ国でされたものの、徐々にEC、EUへの加盟等により、脱退する国が増え、現在ではアイスランド・スイス・ノルウェー。リヒテンシュタインの4ヵ国で形成されています。

ここから先は、経済を知る~イギリスEU離脱編2~にて、ⅰ)何故イギリスはEU脱退を望んだのか、ⅱ)国民投票の結果、及び、世界情勢に与える影響とは、そしてⅲ)金価格への影響とは、についてお話しさせて頂きます。

SNSでもご購読できます。