呪われた紫サファイア

呪われた宝石と言えば「ホープダイヤモンド」が有名で、ブログでも何度かご紹介されていますが、実は他にも呪われているとされる宝石が存在します。
その名も「デリーの紫サファイア」。
あまり知られてはいないこの紫サファイアですが、現在はロンドンの自然史博物館にて展示されています。
今回はこの呪われた紫サファイアについてご紹介したいと思います。

1.紫サファイアと呼ばれる理由

この呪われた紫サファイアは元々雷神インドラを祀ったインドの寺院にあったと言われています。
しかし1857年、セポイの反乱の間に強奪されてしまいフェリスという将校がイギリスに持ってきました。
その後フェリス一家はたちまち病に侵され、金銭的にも困窮しました。また、この紫サファイアを受け継いだ彼の息子も病に侵され、紫サファイアは友人の手にうつりましたが、直後にその友人も自殺してしまいました。
これが呪われた紫サファイアと呼ばれるようになった所以と言われています。

2.紫サファイアの持ち主

このサファイアの持ち主だったエドワード・ヘロン=アレンはイギリスのアマチュア科学者で、多岐にわたるジャンルの本を出した作家、そして博学家でした。
オスカー・ワイルドの友人としても知られている彼は、科学について学んだ一方で自然の物事に惹かれ、近代手相学についてまとめた著作も多数あり、1898年にはインドの一大叙事詩「ルバイヤート」を散文訳して出版しました。
1890年に、彼はこの石を手にしますが、立て続けに不運に襲われたため、この石を欲しがる友人らに譲りましたが、一方の友人もまた災難が続き、もう一方の友人は歌手でしたがこの石を手にしてすぐに歌声を失ってしまい、それから歌う事はなかったと言います。
再びこのサファイアはヘロン=アレンの元へ返ってくることになり、彼の記述によるとリージェント運河にこのサファイアを投げ込んだこともあるとありましたが、その3カ月後に浚渫船からこの石を買い上げたという人物が再びこのサファイアを持ち込んだそうです。
手放すことすらできなかったこのサファイアですが、1904年彼は生まれたばかりの娘にまでこの不運が及ぶことを恐れ、心配し、このサファイアを7重の箱に入れると、銀行の金庫の奥にしまい、死ぬまで開けないように命じました。家へ帰る途中の空は黒い群雲が集まって凄まじい雷鳴が轟いたといいます。

3.紫サファイアのその後

1943年、ヘロン=アレンが亡くなり、サファイアは遺言通りにロンドンの自然史博物館へ寄贈されました。
1970年、ロンドン自然史博物館のキュレーターは様々な宝石がしまわれた棚を整理しているときにこの変わったサファイアを見つけました。
そのサファイアには、ヘロン=アレンがタイプライターで打った手紙が付いており、その内容はこのようなものでした。
「この石は呪われており、石を所有してきた者達の血と恥辱が染みついている。」、「この箱を開けようとする者はまずこの警告を読み、その後は望むようにすると良い。私は海に投げ捨てることをおすすめする。」
ヘロン=アレンはこう記し、呪いの真義はともあれ、彼の恐怖は本物でした。
それから約40年後の2007年、ついにこのデリーの紫サファイアはロンドン自然史博物館に「呪われた石」として展示されています。
また2004年にはヘロン=アレン協会最初のシンポジウムを開くにあたって、このデリーのサファイアを一時的に借りましたが、この輸送の旅は大きな雷雨にさらされたと言います。

まとめ

いかがでしたか?
宝石には人の念が宿るとも言われています。どんなに美しい宝石でも謎めいた秘密を持っているかもしれません。
ちなみにこのデリーの紫サファイアですが、濃い紫色の宝石をくすんだ銀の台座が取り巻き、両側に小さな銀のパーツが伸び、片方には小さなアメシストが2つセットされた変わった宝石です。
そしてこれまで紫サファイアと言ってきましたが、実はサファイアではなく、アメシストになります。
これからロンドンへ旅行に行かれる方や興味のある方は是非ご自身の目で見に行かれてみてはいかがでしょうか。
今回は呪われた宝石をご紹介しましたが、幸運を呼ぶ宝石についてまた機会があればご紹介したいと思います。

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