プラチナこそ貴金属の王である!

約20億年前、巨大な隕石の衝突によって誕生したと言われているプラチナ。

何度も歴史上姿を現しますが、最高の貴金属として評価されるのは18世紀以降のことです。

「プラチナこそ貴金属の王である。それは繰り返し自らを主張するであろう。」

フランスの名門、カルティエの3代目「ルイ・カルティエ」が遺した言葉です。

現在では、婚約指輪や結婚指輪の約8割にプラチナの素材が使用されています。

今回はまだ新しい貴金属プラチナについて詳しくお話しようと思います。

1.プラチナの歴史

指輪にプラチナが使用される以前は銀が主流でした。

しかし、銀はすぐに硫化して黒くなってしまう為、ダイヤモンドの輝きを損なってしまうという欠点がありました。

そんなプラチナが貴金属ジュエリーの主流になるまでの歴史を見ていきたいと思います。

古代のプラチナ

古代エジプトではファラオの装身具にプラチナが使われていたと言われています。

今から3000年以上も前の話です。

一方、南アメリカでは、紀元前後から原住民のインディオたちがプラチナの装身具を身に着けていたことが判明しています。

はるか昔から金・銀・プラチナの治金・加工技術が確立されていたとされています。

プラチナは融点が最も高い金属で、融解などの加工技術が確立されたのは18世紀の後半です。

この時代の加工技術は今でも謎に包まれています。

 

中世以降になると、スペインのコンキスタドール(征服者)達が南アメリカを領有していました。

彼らはなかなか溶けない白い金属に価値を見出せず、「小粒の銀=プラチナ」と蔑称で呼び、

扱いにくい粗悪な金属として川に投げ捨てていたそうです。

ヨーロッパに渡ったプラチナ

コンキスタドールの手によってプラチナはヨーロッパに持ち込まれ、徐々に人々に広まっていきました。

1751年、スウェーデンの科学者テオピル・シェファーによって、プラチナは学術的に貴金属として分類されます。

それから、ヨーロッパ各国はプラチナの加工・精錬等の技術を研究するようになりました。

 

1780年代、フランス国王ルイ16世は、「プラチナは王のみにふさわしい貴金属である」と宣言し、専属の金細工師に様々なプラチナ製の宝飾品を作らせました。

スペイン王のカルロス3世もまたプラチナ愛好家として知られております。

カルロス4世の時代には、アランフェス宮殿内に部屋の至るところにプラチナの装飾が施された「プラチナの間」が作られました。

プラチナの全盛期

1803年、イギリスの科学者ウィリアムス・H・ラウストンが新たにプラチナの精錬・加工技術を発見し、産業界での利用が盛んになりました。

19世紀末から20世紀にかけて、花や植物などのモチーフや過剰な曲線の組み合わせを楽しむ「アール・ヌーヴォー」が全盛を迎えます。

ジュエリーでも同じようなデザインが好まれていたこの時代、宝石商ルイ・カルティエは世界で初めてプラチナジュエリーを制作しました。

彼は他のジュエラーがまだ取り組んだことのなかった未知の金属プラチナの秘められた可能性を見抜き、ルイ16世時代の装飾美術スタイルをジュエリーに施しました。

後に「ガーランド・スタイル」と呼ばれる装飾を小さなジュエリーで表現するには、繊細な細工を可能とする素材が必要でした。

プラチナは非常にしなやかな特性を持っていた為、まさにカルティエの理想の素材でした。

プラチナのガーランド・スタイルはまさにカルティエの独擅場でした。

他のジュエラーがプラチナを手掛けるようになるのは30年も後のことです。

カルティエは英国王エドワード7世から「王たちの宝石商にして宝石商の王」と称賛されました。

 

1910年代から1930年代にかけては「アール・デコ」が流行しました。

アール・デコ以前のファッションやジュエリーの世界では、黒は「喪」のイメージでした。

しかし、アール・デコでは、黒は「エレガント」のイメージを持つようになり、ジュエリーにも好んで使用されるようになります。

その際に、対比として用いられたものがプラチナの「白」でした。

また、この時代、緑、赤、青等の斬新な色彩の組み合わせを採用するようになったカルティエは、プラチナの白を基調に鮮やかな対比を生み出しました。

カルティエはアール・デコにおいても時代の先駆者となったのです。

2.日本人とプラチナの出会い

日本人がプラチナと出会ったのは江戸時代末期、ヨーロッパでプラチナが最高の貴金属として認められた頃です。

日本でのプラチナの浸透は早く、大正時代には一般に広く知れ渡っていました。

多くの宝石店がプラチナを手掛けるようになり、白金製と明記されたジュエリーも多く誕生しました。

日本のジュエリー史は、ヨーロッパのプラチナ文化を常に吸収し、1930年代には肩を並べる水準まで達しました。

ブライダルリングとプラチナ

最も硬い鉱物で美しく輝くダイヤモンドは、結婚の永続性と女性の純潔を象徴するものとしてブライダルリングとして用いられてきました。

以前までは金の指輪が多かったのですが、純潔を表す為に銀が好まれるようになります。

19世紀になり、ウエディングドレスが浸透すると、白い貴金属への需要がより一層高まります。

この時代、まさにプラチナが浸透してきた頃で、銀のように変色せず、白く輝き、永続性にも優れたプラチナは「天国の貴金属」と絶賛され、ブライダルリングとしてすぐに定着していきました。

日本では以前より、ダイヤモンドをより輝かせるために、金の指輪に銀をコーティングし、白い金属をわざわざ作成してブライダルリングに用いていたのです。

そのため、プラチナのブライダルリングは、日本人の中ですぐに浸透していきました。

プラチナは、現代のブライダル業界ではまさに貴金属の王と言えます。

ジュエリー以外にも工業用途等にも近年ますます需要が高まっています。

ジュエリー以外のプラチナの用途につきましては、またの機会にお話しようと思います。

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